愛の果てに咲く花 ~壊れゆく完璧な檻~

愛の果てに咲く花 ~壊れゆく完璧な檻~

last update最終更新日 : 2025-12-10
作家:  佐薙真琴完了
言語: Japanese
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概要

歪んだ愛

傲慢

浮気・不倫

裏切り

禁断の恋

 完璧なキャリアウーマン・瀬川周子。誰もが羨む人生を手にしていた彼女の前に現れたのは、危険な魅力を纏う男・冬木柊だった。 「君は、本当は壊れたいんだろう?」  その一言が、周子の理性を崩壊させる。  婚約者を裏切り、仕事を辞め、友人も家族も――すべてを失いながら、彼女は柊の支配下へと堕ちていく。柊は過去に恋人を自殺に追い込んだ男。彼の愛し方は、徹底的な支配と破壊。  それでも、周子は離れられない。 「僕は、君を完全に支配したい」  盗撮、監視、孤立化。柊の支配は、日に日に強まっていく。そして周子は、自分が次の「犠牲者」になることを悟りながらも、彼を求め続ける――。

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第1話

序章:完璧な日常の亀裂

 窓の外に広がる東京の夜景が、まるで宝石箱をひっくり返したように瞬いていた。二十八階建てのオフィスビル。瀬川周子は自分のデスクから、その煌めきを眺めながら、また一つため息をついた。

 時計の針は午後十一時を指している。周囲のデスクはすでに無人だ。静寂の中、キーボードを叩く音だけが響く。

 画面に映し出されているのは、明日のプレゼン資料。大手化粧品メーカーの新商品キャンペーン。三ヶ月かけて練り上げた企画が、ようやく形になろうとしていた。

「完璧だわ」

 周子は小さく呟いた。資料の隅々まで目を通し、誤字脱字がないことを確認する。レイアウトのバランス、配色、フォントの統一性。すべてが計算され尽くしている。

 これが瀬川周子という女性だった。

 明治大学経営学部を首席で卒業し、大手広告代理店・東都アドに入社して六年。同期の中で最速でシニアプランナーに昇格した。クライアントからの信頼も厚く、社内では「氷の女王」という異名で呼ばれていた。

 冷たいのではない。ただ、感情を表に出さないだけだ。

 仕事は完璧にこなす。プライベートも整然としている。三年付き合っている婚約者・大塚裕一は、同じ業界で働く安定志向の男性だ。来年の春には結婚する予定になっている。

 すべてが計画通り。すべてが完璧。

 なのに――。

「......なんだろう、この感じ」

 周子は自分の胸に手を当てた。心臓が規則正しく鼓動している。異常はない。体調も良好だ。

 でも、何かが足りない。

 満たされているはずなのに、どこか空虚な感覚。それは最近、特に強くなっていた。裕一とデートをしているときも、友人と食事をしているときも、この違和感がつきまとう。

「疲れてるのかな」

 周子はパソコンをシャットダウンし、バッグを手に取った。明日のプレゼンに備えて、早く帰って休もう。そう決めたはずだった。

 でも、足はエレベーターホールではなく、非常階段の方へと向かっていた。

 深夜のオフィスビルの階段は、昼間とはまったく違う表情を見せる。非常灯の薄暗い光。コンクリートの壁に反響する足音。ひんやりとした空気。

 周子は階段を降りながら、自分でも理解できない衝動に駆られていた。

 帰りたくない。

 いや、正確には「あの完璧な部屋」に帰りたくないのだ。白を基調とした清潔なマンション。整然と並んだ家具。一つの乱れもない生活空間。

 あそこに帰れば、また「完璧な瀬川周子」を演じなければならない。

「おかしいわ、私」

 一階に降り立った周子は、ビルを出て夜の街へと歩き出した。十一月の冷たい風が頬を撫でる。

 普段なら絶対に立ち寄らない路地裏のバー。『Midnight Blue』という看板が、青白いネオンで光っていた。

 周子は吸い寄せられるように、その扉を開けた。


 店内は煙草の煙と古いジャズが満ちていた。カウンターに数人の客。奥のボックス席には、一人で酒を飲む男の姿。

 周子はカウンターの端に腰を下ろした。

「いらっしゃい。何にする?」

 バーテンダーは五十代くらいの、穏やかな顔つきの男性だった。

「......ジントニックを」

「了解」

 グラスに注がれる透明な液体。ライムの香りが鼻腔をくすぐる。周子は一口飲んで、ゆっくりと息を吐いた。

 アルコールが体内を巡る感覚。少しずつ、緊張が解けていく。

「珍しいね、こんな時間に女性一人で」

 バーテンダーが話しかけてきた。

「......たまたま、通りかかって」

「仕事帰り?」

「ええ」

「お疲れ様。無理しないでね」

 優しい言葉だった。でも、その優しさが逆に周子の心を締め付ける。

 無理してないわけがない。

 毎日、完璧であろうとすることが、どれだけ疲れることか。誰も理解してくれない。いや、理解されたくもない。これが自分で選んだ生き方なのだから。

「もう一杯、いいですか」

「どうぞ」

 二杯目のジントニックを飲み干したとき、周子は視線を感じた。

 振り返ると、奥のボックス席の男がこちらを見ていた。

 年齢は三十代前半だろうか。黒いシャツに黒いジャケット。短く刈り上げた髪。端正な顔立ちだが、どこか危うい雰囲気を纏っている。

 目が合った瞬間、周子の心臓が跳ねた。

 男は微笑んだ。それは親しげな笑みでも、下心のある笑みでもなかった。もっと複雑な、何かを見透かしたような笑み。

「失礼」

 男は席を立ち、周子の隣に座った。バーテンダーに目配せして、何かを注文する。

「......知り合い、でしたっけ?」

 周子は警戒心を込めて尋ねた。

「いや、初対面だよ。でも、君を見ていたら、声をかけずにはいられなくなった」

「ナンパですか」

「そう取られても仕方ないね」

 男は肩をすくめた。バーテンダーがグラスを二つ持ってきて、男の前と周子の前に置いた。

「何ですか、これ」

「ブラック・ルシアン。ウォッカとコーヒーリキュール。甘いけど、後から来る苦味がいい」

「......勝手に注文しないでください」

「飲んでから文句を言ってくれ」

 男は自分のグラスを傾けた。周子も、何故か拒否できずにグラスを手に取る。

 一口飲んで、目を見開いた。

 確かに甘い。でも、その甘さの奥に、深い苦味が隠れている。複雑な味わい。

「どう?」

「......美味しい、かもしれません」

「だろう? 君には、こういう味が似合うと思った」

「どういう意味ですか」

「表面は完璧で甘美だけど、内側には苦いものを抱えている」

 周子の手が止まった。

 この男は、何を言っているのだろう。初対面なのに、まるで自分の内面を見透かしているような口ぶり。

「......失礼ですが、あなたは何者ですか」

「冬木柊。フリーランスのコンサルタントをしている」

「コンサルタント?」

「企業の闇を暴いたり、人間関係の問題を解決したり。まあ、いろいろとね」

 柊は曖昧に答えた。

「で、君は?」

「......瀬川周子。広告代理店で働いています」

「広告か。クリエイティブな仕事だね」

「数字とロジックの世界ですよ」

「そう言いながら、君の目は違うことを語っている」

 柊は周子の目をじっと見つめた。その視線から逃れられない。

「どういう、意味ですか」

「君は、自分が思っているほど『ロジカル』な人間じゃない」

「......何を根拠に」

「根拠なんて必要ない。見ればわかる」

 柊はグラスを置いて、周子に向き直った。

「君は完璧主義者だ。すべてをコントロールしようとする。でも、それは恐怖からくる行動だ」

「恐怖......?」

「自分の内側にある、制御できないものへの恐怖」

 周子の呼吸が浅くなった。

「君は、本当は壊れたいんだろう?」

 その言葉が、周子の胸を貫いた。

 否定しようとして、言葉が出てこない。喉が渇く。心臓が激しく鼓動している。

「違い、ます」

「嘘だね」

 柊は微笑んだ。それは優しい笑みではなく、獲物を見つけた捕食者の笑み。

「君は、誰かに自分を壊してほしいと願っている。完璧であることに疲れた。でも、自分からは崩れられない。だから、誰かに壊されることを夢見ている」

「......なんで、そんなことが」

「わかるんだよ。同じ匂いがするから」

 柊は周子の髪に触れた。その指が、ゆっくりと頬を撫でる。

 周子は身体が硬直した。拒絶すべきなのに、動けない。

·········

「......っ」

「でも、壊すだけじゃない。その破片から、新しい君を作り上げることもできる」

 柊の声は、囁くように甘く、しかし冷たかった。

「どう? 試してみたくない?」

 周子の理性が、警告を発していた。

 この男は危険だ。関わってはいけない。今すぐ逃げるべきだ。

 でも、身体は動かなかった。それどころか、柊の言葉に心が震えていた。

「......私、婚約者がいるんです」

「知ってる」

「え?」

「左手の薬指に、指輪の跡。日焼けの痕が残ってる。でも、今日は外している」

 周子は左手を見た。確かに、薬指には指輪の跡がうっすらと残っていた。

 今日、何故か指輪を外していた。無意識に。

「君は、もう答えを出してるんだよ」

 柊は立ち上がり、財布から札を取り出してカウンターに置いた。

「僕の連絡先を教える。連絡するかどうかは、君次第だ」

 柊は名刺を周子の前に置いた。シンプルなデザイン。名前と電話番号だけ。

「でも、覚えておいて。一度僕に触れたら、もう戻れない」

 そう言い残して、柊は店を出て行った。


 周子は名刺を握りしめたまま、長い時間動けなかった。

 バーテンダーが心配そうに声をかけてきた。

「大丈夫? あの人、常連なんだけど、ちょっと変わった人でね」

「......どんな人、なんですか」

「さあね。詳しいことは知らない。でも、妙に人の心を読むのが上手い。だから、気をつけた方がいい」

「気をつける......」

 周子は名刺をバッグにしまい、店を出た。

 夜の街は、さっきよりも冷たく感じた。でも、周子の身体は熱かった。

 柊の言葉が、頭の中で何度も反復される。

「君は、本当は壊れたいんだろう?」

 違う。そんなはずがない。

 でも、心の奥底で、小さな声が囁いていた。

 ··········

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last update最終更新日 : 2025-12-02
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第一章:運命という名の罠
 翌朝、周子は目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。 天井を見つめながら、昨夜のことを思い出す。あれは夢だったのだろうか。でも、バッグの中には確かに柊の名刺が入っている。 シャワーを浴びて、いつも通りスーツに着替える。鏡に映る自分は、いつもの瀬川周子だ。完璧に整えられた髪。薄く施したメイク。皺一つないブラウス。 でも、目の奥に何か違うものが宿っているような気がした。「気のせいよ」 周子は鏡に向かって呟いた。 朝食は摂らずに、マンションを出る。駅までの道のりを早足で歩きながら、今日のプレゼンのシミュレーションをする。 電車の中でも、資料を確認する。完璧だ。問題ない。 でも、心のどこかで、柊の声が響いている。「君は、本当は壊れたいんだろう?」 違う 周子は首を振った。隣に座っていたサラリーマンが、不審そうにこちらを見た。 午前十時。プレゼンルームには、クライアント側から五人の役員が揃っていた。 周子は深呼吸をして、プレゼンを開始した。 新商品「エターナル・グロウ」は、三十代女性をターゲットにした高級化粧品ライン。コンセプトは「永遠の輝き」。 周子の説明は淀みなく、データに裏付けられた説得力があった。市場分析、ターゲット層の心理プロファイル、競合比較。すべてが完璧にロジックで構築されている。 そして、クリエイティブ案。 スクリーンに映し出された広告ビジュアルは、美しかった。夕暮れの海辺で、一人の女性が鏡を見つめている。彼女の表情は、どこか憂いを帯びていて、それでいて強さも感じさせる。 キャッチコピー:「あなたの光は、消えない」「......素晴らしい」 クライアントの社長が、感嘆の声を漏らした。「瀬川さん、このビジュアルは、どういう意図で?」「三十代の女性は、社会的にも私生活でも、多くの役割を担っています。仕事、家庭、自己実現。その中で、自分自身を見失いそうになることもある。でも、彼女たちの内側には、決して消えない輝きがある。それを引き出すのが、この商品です」「なるほど......。でも、ちょっと暗くないかな。もっと明るく、ポジティブな印象の方が」 周子は予想していた反応だった。「実は、A案として、もう一つご用意しています」 次のスライドを表示する。こちらは明るい陽光の中で、笑顔の女性が商品を手にしているビジュアル。「
last update最終更新日 : 2025-12-02
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第二章:禁断の扉
 それから一週間、周子の生活は表面上、何も変わらなかった。 毎朝七時に起床し、いつも通り出社する。クライアントとのミーティング、企画書の作成、チームメンバーへの指示。完璧に仕事をこなす瀬川周子。 裕一とも、何度か会った。いつものレストランでディナー。いつものような会話。結婚式の話、新居の話、将来の計画。 すべてが、いつも通り。 でも、周子の内側では、何かが変わり始めていた。 それは、小さな亀裂のようなものだった。完璧に作り上げられた自分という器に、ひびが入っていく感覚。 そして、その亀裂から、抑圧されていた何かが漏れ出してくる。 金曜日の夜。周子はまた『Midnight Blue』を訪れていた。 もう三度目だった。理由はわからない。ただ、あの店に行けば、柊がいるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて。 でも、今夜も柊の姿はなかった。 カウンターに座り、ジントニックを注文する。バーテンダーは、もう周子の顔を覚えていた。「最近、よく来るね」「......ええ」「あの人を待ってるの? 冬木さん」 周子は驚いて顔を上げた。「......なんで」「わかるよ。あの人と話してから、君の目が変わった」 バーテンダーはグラスを磨きながら言った。「忠告しておくけど、あの人には近づかない方がいい」「どうしてですか」「彼は、人を壊すのが好きなんだ。特に、君みたいなタイプの女性を」「......私みたいな」「完璧主義者。自分を厳しくコントロールしている人。そういう人が壊れる様子を見るのが、彼の趣味なんだ」 バーテンダーの言葉は、柊自身が言ったことと一致していた。「わかっています」 周子は静かに答えた。「でも、止められないんです」「......そうか」 バーテンダーは悲しそうな目で周子を見た。「君で三人目だ」
last update最終更新日 : 2025-12-03
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第三章:甘美なる堕落
 翌週、周子の変化は周囲にも気づかれ始めた。 まず、同僚の山田が声をかけてきた。「瀬川さん、最近大丈夫? なんか、疲れてない?」「大丈夫よ」 周子は作り笑いを浮かべた。でも、鏡を見れば自分でもわかる。目の下に隈ができている。肌の艶もない。 睡眠時間が削られていた。柊からの連絡は、いつも深夜だった。そして、周子はその度に出かけていった。 仕事中も、集中力が続かなくなった。企画書を書いていても、柊のことが頭から離れない。 携帯電話が鳴る度に、心臓が跳ねる。 これは、恋なのだろうか。 いや、違う。恋ならもっと幸せなはずだ。 これは、依存だ。 周子は自分が柊に依存し始めていることを自覚していた。でも、止められなかった。 ある夜、裕一が周子のマンションを訪れた。「周子、ちょっと話がある」 裕一の表情は、いつになく深刻だった。「......何?」「最近、おかしいよ。君」 周子は動揺を隠そうとした。「おかしいって、何が」「デートをドタキャンすることが増えた。電話しても、いつも上の空。僕のこと、もう好きじゃないんじゃないか」「......そんなことない」「嘘だね」 裕一の声は、珍しく厳しかった。「君、誰か他に好きな人ができたんでしょ」 周子は答えられなかった。「......ごめん」「やっぱり」 裕一は深くため息をついた。「僕じゃ、君を幸せにできないのかな」「そうじゃないの。あなたは、何も悪くない」「じゃあ、何が悪いの?」 周子は言葉を探した。 でも、説明できることではなかった。どうやって説明すればいい? 私は、自分を壊してくれる男に惹かれている、なんて。「......私が、悪いの」「周子......」「ごめんなさ
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第四章:見えない鎖
 婚約解消から二週間。周子の生活は、完全に変わっていた。 仕事には行っているが、以前のようなパフォーマンスは出せなくなった。企画書の提出期限を守れなくなり、ミーティングでの発言も減った。 上司から注意を受けた。「瀬川、最近どうした? 君らしくない」「......すみません」「何かあったのか? プライベートで問題でも?」「大丈夫です。ちょっと、疲れているだけです」 嘘だった。 疲れているのは確かだが、問題はそれだけではなかった。 周子の頭の中は、常に柊のことで占められていた。 柊からの連絡を待つ。来なければ不安になる。来れば、どんな時間でも駆けつける。 これは、もう恋ではなかった。依存症だった。 ある日、親友の佐藤美和が周子のマンションを訪れた。「周子、ちょっと話がある」 美和は深刻な表情だった。「裕一さんから聞いたわ。婚約解消したって」「......ええ」「なんで? あんなに幸せそうだったのに」 周子は答えられなかった。「他に好きな人ができたの?」「......まあ、そんなところ」「その人、どんな人?」「......言えない」「なんで?」「言ったら、あなたは絶対に反対するから」 美和は周子の肩を掴んだ。「周子、あなたおかしいわよ。最近、連絡してもろくに返事もくれないし、会おうって言っても断るし」「......ごめん」「ごめんじゃないわよ! あなた、何かに取り憑かれてるみたい」 美和の言葉は、的を射ていた。 取り憑かれている。柊という存在に。「心配しないで。私は、大丈夫だから」「大丈夫に見えないわよ。痩せたし、顔色も悪い」 美和は涙ぐんでいた。「お願い、その人と別れて。あなたを不幸にする人なら、一緒にいちゃダメよ」
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第五章:孤立の始まり
 柊との関係が深まるにつれ、周子の生活はさらに変質していった。 まず、仕事を辞めた。 というより、辞めざるを得なかった。 柊は、周子の時間のすべてを要求した。いつでも連絡に応じること。いつでも会えるようにすること。仕事は、その妨げになる。「仕事なんて、辞めればいい」 柊は簡単に言った。「でも、生活費が......」「僕が養う」「......」「君には、僕だけに集中してほしい」 周子は抵抗しようとした。でも、すでに仕事でのパフォーマンスは最悪だった。このままでは、クビになるのは時間の問題だった。 だから、周子は自分から退職届を出した。 上司は驚いた。「瀬川、どうしたんだ。君は将来有望だったのに」「......すみません。個人的な理由で」「彼氏に反対されたのか?」 周子は答えなかった。「......そうか。残念だ」 こうして、周子は六年間勤めた会社を去った。 次に失ったのは、友人だった。 美和からの連絡は、最初は頻繁だった。「周子、最近どう?」「元気よ」「会おうよ。ランチでも」「......ごめん、ちょっと予定が」 断り続けるうちに、美和からの連絡は減っていった。 他の友人たちも、同じだった。 周子は、意図的に距離を置いていた。友人たちと会えば、柊のことを質問される。そして、柊との関係を説明できない。 いや、説明したくなかった。 友人たちは、きっと反対するだろう。「その男、危ないよ」「別れた方がいい」と言うだろう。 でも、周子はもう、柊から離れられなかった。 だから、友人を失う方を選んだ。 そして、家族との関係も壊れていった。 母からの電話。「周子、元気にしてる?」「......ええ」
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第六章:過去の亡霊
 柊との生活が始まって三ヶ月。周子の世界は、完全に柊だけになっていた。 外出するのは、柊と一緒のときだけ。一人で出かけることは、許されなかった。 携帯電話も、柊に管理されていた。誰かから連絡が来ると、柊がチェックする。 それは、明らかに異常だった。 でも、周子は受け入れていた。 むしろ、この狭い世界が心地よかった。考える必要がない。決断する必要がない。すべて、柊が決めてくれる。 ただ、夜になると、不安が襲ってきた。 これは、本当に愛なのだろうか。 それとも、ただの共依存なのだろうか。 ある日、柊が外出すると言った。「今日は、一人で出かけてくる」「......どこに」「仕事だよ」 柊の「仕事」について、周子は詳しく知らなかった。「いつ帰ってくる?」「夜には戻る」 柊は周子の頬にキスをした。「いい子で待っててね」「......ええ」 柊が出て行った後、周子は一人きりになった。 広いマンション。でも、柊がいないと、まるで牢獄のように感じる。 周子は窓から外を眺めた。 東京の街。無数の人々が行き交っている。 あの中に、かつての自分もいた。仕事に追われ、目標に向かって走り続けていた自分。 今の自分とは、まるで別人だ。 私は、何をしているんだろう ふと、そんな疑問が湧いてきた。 でも、すぐに頭を振った。 考えてはいけない。考え始めたら、すべてが崩れてしまう。 その時、インターホンが鳴った。 誰だろう。宅配便だろうか。 モニターを確認すると、見知らぬ女性が立っていた。 三十代くらい。落ち着いた雰囲気。 周子は、インターホンに出た。「はい」『あの、冬木柊さんのお宅ですか?』
last update最終更新日 : 2025-12-07
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第七章:真実の代償
 雪村凛の訪問から一週間。周子の心は、揺れ続けていた。 凛の言葉が、頭から離れない。 冬木さんといる限り、あなたは破滅する それは、真実かもしれない。 でも、破滅することが、本当に悪いことなのだろうか。 周子は、もう「普通の幸せ」を求めていなかった。 完璧な人生、安定した未来。それらは、もう魅力的に思えない。 むしろ、この危うい関係の方が、生きている実感がある。 ある夜、柊が言った。「明日、特別な場所に連れて行く」「......どこに」「サプライズだ」 柊は神秘的に微笑んだ。「でも、一つだけ約束してほしい」「何?」「何を見ても、僕から離れないこと」 周子の胸騒ぎが強くなった。「......何を見せるつもり?」「君が知るべきこと」 翌日、柊は周子を車に乗せて、都心を離れた。 目的地は、海沿いの町だった。 古い漁村。寂れた雰囲気。「ここは......」「僕が育った場所だ」 柊は車を降りた。 二人は、海沿いの道を歩いた。 冷たい風が、頬を撫でる。波の音が、静かに響く。「ここに、連れてきたのは君が初めてだ」「......なんで」「君に、すべてを知ってほしいから」 柊は、古い建物の前で止まった。 それは、精神病院だった。「母が、入院している」 周子は驚いた。「お母さん、まだ生きてるの?」「ああ。もう二十年以上、ここにいる」 柊は病院の中に入った。 周子もついていく。 廊下は薄暗く、消毒薬の匂いが充満していた。 柊は、奥の個室のドアをノックした。「母さん、僕だ」 返事はなかった。
last update最終更新日 : 2025-12-08
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第八章:最後の選択
 海辺の町から戻った後、周子は大きな決断をした。 母に会うことにした。 柊は、最初は反対した。「なんで、今更」「......けじめをつけたい」「けじめ?」「ええ。最後に、母に会っておきたい」 柊は、長い沈黙の後、頷いた。「わかった。でも、僕も一緒に行く」「......ええ」 周子の実家は、郊外の閑静な住宅街にあった。 母は、周子を見て驚いた。「周子......!」 そして、周子の隣にいる柊を見て、警戒の色を浮かべた。「......この方は」「冬木柊です。周子さんの恋人です」 柊は丁寧に挨拶した。 母は、複雑な表情で二人を家に招き入れた。 リビングで、三人は向かい合って座った。 母は、周子をじっと見つめていた。「......痩せたわね」「......うん」「ちゃんと、食べてる?」「食べてるわ」 母は、柊に視線を移した。「冬木さん、あなたは周子とどういう関係なんですか」「恋人です」「......裕一君と別れた理由は、あなたですか」「そうです」 柊は、隠そうともしなかった。 母の表情が、厳しくなった。「周子を、幸せにしてくれるんですか」「......幸せの定義によります」「定義......?」「一般的な幸せを、僕は周子に与えられません。でも、周子が本当に求めているものは、与えられます」 母は、周子を見た。「周子、あなた本当にこの人でいいの?」 周子は、頷いた。「......ええ」「なんで? あなたには、もっといい未来があったはずよ。裕一君との結婚、仕事での成功」「......それは、私が求めていた未来じゃなかっ
last update最終更新日 : 2025-12-09
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終章:愛の果て
 二人は、崖の縁に立った。 下には、暗い海が広がっている。 波の音だけが、静かに響いている。「怖いか?」 柊が尋ねた。「......ええ。でも、あなたがいるから、大丈夫」 周子は、柊を見つめた。「これが、私たちの愛の終わり方なのね」「ああ」 柊は、周子を抱きしめた。「君と出会えて、よかった」「......私も」 周子は、涙を流した。「あなたと出会わなければ、私は完璧な人生を送っていたかもしれない。でも、本当の自分を知ることはなかった」「......」「あなたは、私を壊した。でも、同時に、本当の私を見つけてくれた」 周子は、柊にキスをした。「ありがとう」 柊は、微笑んだ。「じゃあ、行こう」「......ええ」 二人は、手を繋いだ。 そして――。 その時、周子は気づいた。 これは、間違っている 自分は、死にたいわけではない。 ただ、柊と一緒にいたいだけ。 でも、それは死ぬことではない。「......待って」 周子は、柊の手を引いた。「やっぱり、やめる」「え?」 柊は、驚いた表情を見せた。「私、死にたくない」「......なんで」「生きたい。あなたと、一緒に」 周子は、柊を見つめた。「死ぬことは、簡単よ。でも、生きることの方が、難しい」「......」「一緒に、生きましょう。この歪んだ愛のまま」 柊は、長い沈黙の後、笑った。「......君は、面白いね」「え?」「死のうとしていたのに、最後の最後で生きることを選ぶなんて」 柊は、周子を抱きしめた
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